私「荒谷直人」が国から様々な形の言論弾圧を受ける背景には理由があります。
それには私の特殊な生い立ちを説明する必要があります。
ここではまず、私の父である「荒谷浩」の事を書かせて頂きます。
今から48年前、私「荒谷直人」の父である「荒谷浩」は下の北朝鮮系のホームページのリンク先(1番目の写真)で半ば英雄扱いされている中村百合子という画家ともに共に弟子としてフランスに行きました。
市井の人々を愛し、世界を旅した画家
故 中村百合子さん
平壌で個展が夢だった
http://korea-np.co.jp/sinboj2001/11/1126/51.htm
このページは25年ほど前の当時、私が知らぬ間に母の手によって掛けられていた2000万円の保険、そして母の再婚相手の知り合いの紹介という形で強制的に月5万円でフルタイムで奴隷のように働かされた「サンホーム尼崎」という特別養護老人ホームで私が働くようになった途端に、最初から待ち構えていたかのように創価学会が「嫌がらせ役」と「懐柔役」と分けるやり方で私を洗脳しようとしてきた事の疑問から、原因は私の両親の経歴にあると思い両親の関係者をインターネットで調べていたら偶然に見つけました。
前の書き込みにも書いた母が以前に務めていた、尼産マイホームセンターの社長(北朝鮮の金日成と面会できた人物)の事もその時に知りました。
ちょうど、2000年頃にサンホーム尼崎での創価学会によるイジメに対しての報復として「注釈の人」というハンドルネームを使って創価問題新聞というホームページにある「草の根掲示板」という場所で、サンホーム尼崎での職員による「嫌がらせ役」と「懐柔役」に分かれてタイミングよく勧誘にくる創価学会の手口などを書いていた頃です。
もっとも、そこに関わっていた朝木市議の娘さんも私が流した情報を揉み消そうとした事から、この関係の関係者は情報操作として「対立するフリをする」という事に気付いたのですけどね。
この25年間の事をかけば、情報量が膨大すぎて今回の本題である父「荒谷浩」の事が書けなくなるので、サンホーム尼崎や創価問題新聞での事は後々、書かせていただきます。
父「荒谷浩」と中村百合子という画家を介した北朝鮮との繋がり、そして私がその父と親子関係だったという証明は1~3番目の写真を見れば立証になると思います。
3番目の写真の私の戸籍から母の件に関しての立証にもなると思います。
次は4番目の郵便通帳の写真を見て下さい。
これは以前、押し入れから見つかったものですが、郵便通帳の名前が父の姓である「荒谷」と同じ「荒谷浩」と別の姓の「岡山浩」のものがあります。
これ自体が普通の家庭ではありえない事ですが、この通帳が作られた時期を見る限り、父が「岡山浩」と名乗っていたのは私が生まれた直後の一時期だけだったようで、私が物心がつく頃には「荒谷」になっていました。
つまり、北朝鮮と繋がりがある父は、なんらかの理由があって「岡山」という姓になっていたという事になります。
これは北朝鮮の工作員が通名を使い分けるという話と一致します。
しかし私の父が名乗っていた「岡山」の実家は戦前から続く旧家です。
私が子供の頃、父の親戚が岡山家に集まった時の5番目の写真の墓碑に「岡山」という名前が刻まれている事や、6番目の写真の島根県の周布駅の近くで祖父が病院を経営していた時の病院前での写真がその証明です。
どちらの写真も左から2番目の男の子が当時の私です。
以前も書いた母の祖父「柳冨二」は大日本帝国時代の軍人で、父は古くから島根県の周布で病院を経営をするほどの旧家の一族です。
前に書いた事もそうですが、少なくとも、これらの事から大日本帝国時代の戦前から在日朝鮮人が日本の上層部を仕切ってでもいない限り、旧日本軍の騎兵隊の属していた祖父が金日成と面会できる人物が社長をする在日朝鮮系企業で働くほど娘を洗脳したり、旧家の代々、島根県で医者をしている一族の息子が北朝鮮系のホームページで半ば英雄扱いされている人物の弟子をしていたりはしないのですよ。
嘘だらけの学校で教える歴史の教科書では、まずこのあたりの辻褄があいません。
父は母と離婚する前、自分の本籍が山口県にあるという事を言っていました。
この話は私が墓参りに行った時の島根県の周布にある父の実家の「岡山」の墓碑銘のある場所とは一致しないので、おそらく父の父か、父の母のどちらかの一族である「荒谷」の姓の家の事でしょうね。
7~8番目の写真は私が中学1年生の頃に父から送られてきた絵葉書です。
一見、子煩悩の父親に見えますがこの一年後に、突然、家で暴力をふるいだし、父は離婚して家を出て行っています。
こんな手紙を送る父が人が変わったかのように暴力を振るいだしたあたり、朝鮮総連あたりから指示でも受けて別れる口実を作ったのでしょうね。
実際、暴力をふるって別れる口実を作って離婚した直後に父は愛人と同棲し始めましたからね。
しかもその父と再婚した佐々木典子(現在の名前は荒谷典子)という人物は父と同じく中村百合子という人物の弟子でした。
所詮、私は工作員が偽装の為に生み出した子供です。
偽装する為の「家族」という役割を終えた以上、子供は用済みです。
離婚後、3年後に母が私に対して2000万円の保険金をかけていたあたり、母も父に暴力を振るわれている演技でもしていたのかもしれません。
父は頻繁に当時の私の趣味であった化石を持って帰ってくれましたが、採掘量からいって個人では収集は不可能な量であり、アリバイ作りの為に父の関係者の博物館の学芸員から化石の横流しでもしてもらったのでしょうね。
父の職業は竿竹屋ででしたが、それを理由に「出張」と言っては山口県に頻繁に通っていました。
この手紙の内容と消印を見ての通り、この手紙も山口県の下関から送られています。
そして、その下関には韓国へ直通する船が出ています。
父の絵の師匠が北朝鮮系のホームページで半ば英雄扱いされている事と、とても偶然とは思えません。
おそらく、そこで韓国からの船から出てきた他の工作員と連絡を取っていたのでしょうね。
山口県は明治以前の幕末の時点では長州藩です。
つまり明治維新でこの国を英国に売り渡した薩長の片割れの藩があった場所に、北朝鮮関係者と繋がりのある父が頻繁に出入りしていたという事です。
戦前の1905年に開業した関釜連絡船を起源とする下関から韓国への直通の船(関釜フェリー)がある事といい、昔から長州藩は朝鮮半島からの工作員ためのフリーパスの出入り口だったのでしょうね。
そして私の母は奄美大島出身です。
つまり私の父と母の場合、場所的には薩摩藩だった場所の出身者と、長州藩だった場所の出身者が結婚した事になりますね。
この国を英国に売り渡した両藩の。
全国に都道府県が数多くあるだけに、これもとても偶然とは思えません。
私の父と母の話を書くだけでも、ここでアップできる証拠写真の数の限界から言っても1回だけでは書ききれないので、また後日、続きを書きます。







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